本当に流れて行くのは、どちらの方だろうか。
僕らなのか、あるいは、時間の方なのか。
僕らには、場所という具体的なものがあって、
それが、僕らを固定させ、不動にしているという錯覚をもっている。
しかし、場所すらも、変容していく。
ならば、生きている人間は、もっと変容し流れて行くにちがいない。
あるいは、僕らこそが時間なのかもしれない。
ひとつ箇所にとどまるという安堵感は、
結局、流されたくないという不安の裏側に過ぎないのだろうか。
そして、最も恐ろしいことは、流れて行く僕らは、
その流れの本体でもなんでもなく、
ついには、そのなかに溺れてしまうだけなのかもしれない。
