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ちいさいということ

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たぶん なにもかもが つまらなくとるにたりない。
大切なことは ほんのわずかだ。(あるいは ほとんど存在しない)
でも 僕らが楽しむのは むしろ そのつまらなくとるにたりない ところにあるのかもしれない。(楽しみ は 僕らの栄養だから)

ぼくらは ほんとに小さい 
僕らが生きているのは 星の人生 ではない。
それからみれば まさしく 瞬間 を生きているのだから。
だから ぼくらが後生大切にかかえている 
教義は たぶん この人生の中ではほとんどいかされない。
それらは大抵 次元を異にしている内容を含んでいるから。
ただ、星の人生 が不要なのではない。
というのも 僕らは そこへこそ 向かっているのだから
多分 人間は ほんとに 木のような ものなのだろう。

そこで 僕は唐突にも感謝を捧げたい。
この卑小な存在に これほどの巨大な魂を封じ込めた ナニモノカ に対して。
ただ それに 神 という表現はしたくない。
それは その深さ に対して 自己の責任を放棄してしまう。
いますこし明晰に認識できたとき 僕は 自分で それに 名前をつけるだろう。
それは、命名されるためにひっそりとたたずんでいる無言歌のようだ。

狂気

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世界には、正常な人間はいない。
ある気違いと別の気違いしかいない。
彼らは争い、自分を正当化し、
偽りの同胞の呼びかけをする。
これが、今行われている状況の概要だ。
彼らは それこそ何でもすることができる。
自分の父や母ですら、「大儀」という神のごみ箱に投げ捨てるのかもしれない。
なぜに、彼らは 気違いだからだ。
たとえ その気違いのベクトルが逆転していようと なんら同じこと。
もし、「解決」という鍵が彼らの食台にあって、
その鍵に「未来」の刻印が押されているのにしても、
それは 彼らが 互いに 自分が気違いであることを認識し、
そこから 出口への道筋を互いの鍵から復号するしかないのだ。

つまり
ぼくらは 狂っている 
がゆえに 正しさ を求める
それは 敵 の中にある
それが 道 になる

おもいで

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時間が 
ふと
僕らに気づいて
食い尽くすまでは 
もう
ほんとに
あっという間
だから 
かって過ごした頃の
楽しかったことを
地面にでも埋めておきたい

おり

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人はつきつまると脳の中にいる
脳の中には死が住んでいる
その訳は簡単
死とは"ひとり"という事実にほかならない
物理的な脳の限界がそこにある

コロナの世界

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--コロナ=911--

不明瞭なものへの恐怖
それを煽る政治家、マスコミ、学者・・・

恐怖、不安は人を操作する最大のスパイス
古来から変わることのない鉄則

この新たな火種に薪をくべたい奴らは多い。
発端はなんであれ、暗黙の同意を背景に、
魅惑的な支配の暴力へとなだれ込んでいく。

--ウイルスを凌駕する貪欲な欲求--

朴烈

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「おれはいわゆる公判廷において弁護士をわずらわすようなことは一切避けたいと思う。日本帝国政府の法定で自己の権利を要求したり、あるいは争ったりする意志は少しもなのだ。そうすることは日本帝国に降って、その臣民となることを意味する。さもなければ、そのおこぼれ的の慈善を嘆願する哀れなる乞食となることを意味するではないか。おれとしてこれ以上におれ自身を侮辱することがまたとあるだろうか。おれは自分の立場を宣言するために法廷に出るのだ。陳述するために出るのではないのだから、どんな種類の弁護士もおれには必要ない」

--天皇を暗殺しようとした男の裁判記述より--

新山初代

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気分としては「ダダイズム」、
「また対象物なき叛逆の気分は学校に居る時分から只今まで自分につき纏っております」

・・・天皇を殺そうとした女性の逮捕後の陳述から・・・

月・湖

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僕らは月を眺めていた

冷たい湖の遥か彼方を
満々とたまる蜜を

僕は思い出そうとしていた

暗がりにたたずむ蝋燭のように
じっと息をひそめて

そして何も変わることが無い

あの人の視線は
遥か月を射ぬいていくというのに
僕は湖に潜む月の方へと
ゆらゆらと沈んで行く

「金子ふみこ」の縊死

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「そうだ、いっそ死んでしまおう・・・・その方がどんなに楽か知れない」
こう思った瞬間、私は全く救われたような気がした。
いや、全く救われていた。
「ああ、お別れだ」
山や木や石や花や、まわりの一切のものへの強い愛惜の念が突き上げてきた。
自分は、これらの懐かしいものをすべて残して、この世からいなくなるのだ。

「眠り」

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あなたが眠っているので
このように言うことができる

僕はまるですべてを失っている

この言葉の誇張の中に
僕は安らぎを見いだす

あなたの眠りの脇で
僕は僕の眠りを見いだす

「美」 no.2

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美は 完成されている

僕らは その前で 自らの意味を
転げ落ちるように見失い
意外なものが成就したかのように感じる

僕らの行為の行く先が
すでに実現されているのだから

「噴水」

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世界の奥に吹く風のように
噴水が聳えて行く
上でも下でもないところへと

その水を受けようとしても
そこに受け皿はなく
その戴きにかざそうとしても
そこにまなざしはない

(水はだれも見詰めていない
 純粋な斜視の中には
 血でねじ曲げた直線は通らない)

初夏の日差しが噴水を通って行く
恋する人の手をおずおずと探るように
日差しが木にその噂を伝えるとき
もうすでに、それは別の踊りへと跳躍している

僕らの目にはせわしげなその形も
頭上に輝く火神への憧れに身悶える
変わることの無い純粋な意志を
割られざるその中心に宿している

「夏夜の樹花」

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ゆらゆらと枝が揺れ鈴がなる
枝には真っ赤な血潮
夜風が赤い枝々を抜けてくる

鈴がときおり響いては
月の青さに血潮を拾って
一粒一粒、河へと落ちて行く

子猫が枝に首をつっている
満月に瞳を開き
夏樹の香りに舞いながら

「貧しい孤独」

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いつしか、私の回りからひとつづつ無くなって行く。
父がなくなり、母がなくなり、姉妹がなくなり、つれあいがなくなり
犬が逃げ出し、猫が疾走し、
お気に入りのネッカチーフがもみくちゃにされて地べたに投げ出されている。

そして、いつのまにか、見知らぬものたちが、
素知らぬ顔をして素通りしていく。

実に、私が本当にそのように信じた時にこそ
全ては完全に失われているのに、
紛失の予想の中にそれを信じることは
すでに、私をどこまでも貧しく孤独にしている。

「時間」

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本当に流れて行くのは、どちらの方だろうか。
僕らなのか、あるいは、時間の方なのか。

僕らには、場所という具体的なものがあって、
それが、僕らを固定させ、不動にしているという錯覚をもっている。

しかし、場所すらも、変容していく。
ならば、生きている人間は、もっと変容し流れて行くにちがいない。

あるいは、僕らこそが時間なのかもしれない。
ひとつ箇所にとどまるという安堵感は、
結局、流されたくないという不安の裏側に過ぎないのだろうか。

そして、最も恐ろしいことは、流れて行く僕らは、
その流れの本体でもなんでもなく、
ついには、そのなかに溺れてしまうだけなのかもしれない。

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