2026/4/5
名前を変えた植民地戦争の
本質は変わらない
いかに踏みつけるか いかに奪うか
そこにどんな名前をつけようと
本質は変わらない
西部劇が続いている
MANIFEST DESTINY
野蛮人を殺し、服従者を教化する
彼らの馬鹿げた合言葉の
本質は変わらない
反復し繁殖する権力の幼児的愚鈍さの
本質はなにも変わらないのだ
のだ2026/4/3
これは4/3の最初の記述
what goes where? why must it go? who does it? who must obey it?
2021年07月07日(水)22時07分の文章より
ちいさいということ

たぶん なにもかもが つまらなくとるにたりない。
大切なことは ほんのわずかだ。(あるいは ほとんど存在しない)
でも 僕らが楽しむのは むしろ そのつまらなくとるにたりない ところにあるのかもしれない。(楽しみ は 僕らの栄養だから)
ぼくらは ほんとに小さい
僕らが生きているのは 星の人生 ではない。
それからみれば まさしく 瞬間 を生きているのだから。
だから ぼくらが後生大切にかかえている
教義は たぶん この人生の中ではほとんどいかされない。
それらは大抵 次元を異にしている内容を含んでいるから。
ただ、星の人生 が不要なのではない。
というのも 僕らは そこへこそ 向かっているのだから
多分 人間は ほんとに 木のような ものなのだろう。
そこで 僕は唐突にも感謝を捧げたい。
この卑小な存在に これほどの巨大な魂を封じ込めた ナニモノカ に対して。
ただ それに 神 という表現はしたくない。
それは その深さ に対して 自己の責任を放棄してしまう。
いますこし明晰に認識できたとき 僕は 自分で それに 名前をつけるだろう。
それは、命名されるためにひっそりとたたずんでいる無言歌のようだ。
