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以和爲貴

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聖徳太子の有名な17条憲法の第一文である。
「和を以て貴しと為せ」と読み「和をなによりも大切にせよ」となる。

原文)
一曰、以和爲貴、無忤爲宗。人皆有黨。亦少達者。以是、或不順君父。乍違于隣里。然上和下睦、諧於論事、則事理自通。何事不成。

読み)
一に曰く、和を以て貴しと為し、忤(さか)ふること無きを宗とせよ。人皆党(たむら)有り、また達(さと)れる者は少なし。或いは君父(くんぷ)に順(したがわ)ず、乍(また)隣里(りんり)に違う。然れども、上(かみ)和(やわら)ぎ下(しも)睦(むつ)びて、事を論(あげつら)うに諧(かな)うときは、すなわち事理おのずから通ず。何事か成らざらん。

現代語訳)
一にいう。和をなによりも大切なものとし、いさかいをおこさぬことを根本としなさい。人はグループをつくりたがり、悟った人格者は少ない。それだから、君主や父親のいうことにしたがわなかったり、近隣の人たちともうまくいかない。しかし上の者も下の者も協調・親睦(しんぼく)の気持ちをもって論議するなら、おのずからものごとの道理にかない、どんなことも成就(じょうじゅ)するものだ。

続き
聖徳太子(厩戸皇子)が 西暦604年に作ったのですが、今でも十分に通用しますね^^
まぁ、人間はこの長い期間にほぼなにも変わってないということでもありますが・・・

ところで日本の昔の国号は「倭」(わ}ですが、これは「和」に通じ、また、「環」にもつうじます。
大昔の集落が環濠式の集落であったことに由来するという説があります。集落のまわりに環(溝)をほって囲っていたのです。
環濠は、外敵(人・動物)をふせぎ、集落の平和を保つ機能を有するいわゆる堀です。

つまり、環は和の原義なのでしょう。

和(環)とは、外に対しては「防衛線」であり、
内部的には、「融和」、過ぎれば、「談合」となり、
また、あやまれば、「村八分」となるような日本的な集団組織の特質です。

※ちなみに、大和(やまと)は、その字義(大和=大環)から大きな環を意味すると思われます。
たくさんあった環集落が大同団結したもの、それが、大和(やまと)なのでしょう。
また、本来、大和を「やまと」と読むのは無理なので、完全な当て字ですね。
「やまと」の本来の意味は、首都だという説があります。

さて、17条憲法を通じて、太子はその日本的な「和」に着目し、「和」こそ最も大切にし、正しく使うようにと言っているのです。
日本人の気質の根本が「和」にあることを洞察していたのです。

太子がこの憲法を策定した背景には、崇仏論争などによる悲惨な
戦争などの起因があったと言われています。
多くの人々が、表面的な意見の相違によって死んでいったからでしょう。
太子はその悲惨を思春期に身近に接し、その悲しみから17条憲法をつくるに至ったと思われます。

ところで、聖徳太子架空説があるようですが、
17条憲法は、太子のように異常な悲惨を体験した人間でなければ書けない内容であると僕も思います。
聖徳太子という固有名が存在したかどうかは別にして、太子的な存在は確かに実在していたと思います。

※17条憲法は、一般の法律というよりは、官僚への訓示てきな意味あいがあるようです。

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